中世には倉敷市の町々は、瀬戸内海に浮かぶ島々でした。その島々を舟で行き来することで、人・物資・情報が流通していました。その中で西阿知町は、高梁川の河川交通・瀬戸内海の海上交通の要所として、物資の集散地でありました。近年では、近接する水島臨海工業地帯の恵まれた交通の便により、工業地帯としての発展が目まぐるしく、人口増加に繋がっています。この人口の増加に伴い、小学校の増築が計画されました。立地としては、小学校と幼稚園が隣接する敷地であり、敷地をより効率的に活用するために、小学校と幼稚園が同居する複合施設での計画としました。幼稚園を1階、小学校を2階から4階に配置し、旧幼稚園舎を解体して園庭と校庭にすることで、以前より広いスペースを確保することが出来ています。新校舎と旧校舎を繋ぐ昇降口棟は、両校舎に挟まれて閉鎖的になりがちですが、3層に吹抜けを設け、最上階にトップライトを配し、明るく開放的な計画としています。外観は、海上交通で発展してきた西阿知町にちなみ、瀬戸内海の島々を行き来してきた帆を広げて進む一艘の舟をモチーフに、未来に進む子どもたちをイメージして校舎をデザインしました。また、平屋部分の屋上には、屋上庭園を設けており、これは、モチーフとしている舟のデッキを模しています。海に浮かぶ島々を舟で自在に行き来し、高梁川や瀬戸内海の恩恵を預かりながら独自の繋がりを持ってきた西阿知町。街と街、人と人、街と文化、和と洋、新と旧、いろいろなものがふれ合い、混ざり合って、倉敷市独自の文化を形成し発展してきました。今回のプロジェクトも、小学校と幼稚園を結び、新校舎と旧校舎を結び、人と人を結び、街と学校を繋いでいきます。これは、西阿知町が歩んできた「結びと繋ぐ」という歴史を表しています。
中世には倉敷市の町々は、瀬戸内海に浮かぶ島々でした。その島々を舟で行き来することで、人・物資・情報が流通していました。その中で西阿知町は、高梁川の河川交通・瀬戸内海の海上交通の要所として、物資の集散地でありました。近年では、近接する水島臨海工業地帯の恵まれた交通の便により、工業地帯としての発展が目まぐるしく、人口増加に繋がっています。この人口の増加に伴い、小学校の増築が計画されました。立地としては、小学校と幼稚園が隣接する敷地であり、敷地をより効率的に活用するために、小学校と幼稚園が同居する複合施設での計画としました。幼稚園を1階、小学校を2階から4階に配置し、旧幼稚園舎を解体して園庭と校庭にすることで、以前より広いスペースを確保することが出来ています。新校舎と旧校舎を繋ぐ昇降口棟は、両校舎に挟まれて閉鎖的になりがちですが、3層に吹抜けを設け、最上階にトップライトを配し、明るく開放的な計画としています。外観は、海上交通で発展してきた西阿知町にちなみ、瀬戸内海の島々を行き来してきた帆を広げて進む一艘の舟をモチーフに、未来に進む子どもたちをイメージして校舎をデザインしました。また、平屋部分の屋上には、屋上庭園を設けており、これは、モチーフとしている舟のデッキを模しています。海に浮かぶ島々を舟で自在に行き来し、高梁川や瀬戸内海の恩恵を預かりながら独自の繋がりを持ってきた西阿知町。街と街、人と人、街と文化、和と洋、新と旧、いろいろなものがふれ合い、混ざり合って、倉敷市独自の文化を形成し発展してきました。今回のプロジェクトも、小学校と幼稚園を結び、新校舎と旧校舎を結び、人と人を結び、街と学校を繋いでいきます。これは、西阿知町が歩んできた「結びと繋ぐ」という歴史を表しています。